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荒木祐志の心情 蒼山学院大学編

 1年の後半で受けることの出来る大講堂でのゼミなんて、本当のところ2年から先の専門課程の「お試し」にすぎない。2年になってからの選択肢を今からある程度体験してみて、やっぱりこれがいいとなったら2年の、いや3年4年でやっていく道を決めるために複数のゼミを選択し比較が出来るって言う、まず他の大学にはない至れり尽くせりな制度の所為で、実のところ1年のうちは一般教養課程と専門分野のゼミを受けるため、忙しいことこの上ないのだ。
 週の明けた月曜日、俺は朝っぱらからある授業を受けるためにその教室に向かい、しかも寝坊したために電車に遅れて、つまりは遅刻寸前で走っている最中だった。

「荒木っ」

 バタバタバタ、と今日は4時限分の教科書を持ってきているので大きめのデパックを担いでいて、足がつくたびに背中でそれがはねているのをまったくもうとわずらわしく思っているところだった。

「荒木っ待てよっ」

 名前を呼ばれているのはわかったが、だからって今立ち止まれないって言うのっ
 誰だよ、と思って前方に人がいないのとぶつかるものがないのを確認してから、身体の向きを変えた。当然走りながらだ。

「・・・中山先輩?」

 後ろ向きで走っているので速度が落ちた所為か、先輩との距離が縮まってきて、ぐぅっと迫ってきた先輩から逃げようとして足の向きを変えようとした、そのときに体勢を崩した。

「う、わっ」
「あぶないっ」

 地面についたと思った足が、宙に浮いた。目の前には誰もいないし何もなかったが、足元にはあったんだ。
 微妙な段差が。

「あらきっ」

 伸びてきた腕が首の後ろに回ったのまではわかった。なんだかすべてがスローモーションのように動いていて、デパックが空に向かって大きく弧を描いているのを見た後、俺は中山先輩の両手で抱えられるようにして地面ギリギリに横たわっていた。

「危ないじゃないかっ」
「・・・はぁ、まぁ」
「はぁまぁ、じゃないよっなんでっ」

 ゼイゼイ、と息を切らしながら言うのを聞きながら、密着している先輩の顔がまた張り付くくらいに近づいてくるのにうわぁと思った。
 近すぎるっての。

「なんで、逃げるんだよ」
「・・・・・え?」

 髪が触れるくらいの距離になった。俺よりはロン毛の先輩の髪は意外に柔らかそうで、吹いてきた風にゆらりと揺れた。
 ていうか、逃げるって何?

「僕が呼んだのに、逃げたじゃないか」
「違いますよ」
「違わないって」
「違いますよ、一限に遅れそうだから急いでただけで」

 そこで、中山先輩は不意にくすりと笑った。

「一限って、立花先生のゲーム理論?」
「ええ、あれ面白いから」
「・・・残念だな」

 そう言って、なぜか抱えている腕に力を入れる。
 ちょっと待てよ、と思ったのは当然の反応だと思う。朝っぱらのキャンパスで不穏な笑を浮かべた同性の先輩に迫られてるってのは、ありえる話じゃない。「残念だな」と言ってからただ笑ってる顔しか見せない先輩を、むっとして睨んだ。

「手を離してもらえませんか」
「・・・このまま離すと君は地面に激突するよ」
「もう、たいした距離じゃないし」
「ふーん・・・」

 じゃあ、と言って中山先輩はいきなり手を離して立ち上がった。

「うわぁ」

 マジでいきなり手を離すことないじゃないですかっ、と尻餅をついて肘をこすった俺はすぐ傍で立って待っている先輩に咬みつくと、ふーん、とまたにやけた笑を浮かべて「早く立てよ」と言った。
 なんだよあぶないだ逃げるだ、そうしたら今度はすぐ立てよだ、いい加減しろよ、そもそもあんたが声掛けてこなければ後ろ向きで走ることも段差に躓くこともなかったんだ。
 パンパンとジーンズについた砂埃を払って立ち上がると、もう中山先輩はかまわないでデパックを掴んだらすぐに教室に行こうと背中を向けた。そこに、

「今日は休講だよ、立花先生急用だって」
「え?」
「それを教えてやろうとしたのに逃げるから」
「・・・だから」

 逃げてなんかいないっての。

「僕も取ってるんだ、でもせっかく来たのに休みじゃあね」

 残念だよね、と言って俺の隣に並んできた。並ぶとわかるのはちょっとだけ俺よりも背が高いこと、てことは確実に180以上はあるってことか。その背の高い先輩が俺の拾い損ねたデパックを手にするために屈んで、こんな状況だというのにその無駄のない動きで振り返るのに見惚れてしまった。
 なんかかっこいいってのは、相手が見栄えのする同性だから思うのか、それとも中山先輩だから思うのか。
 ていうかそれを考える時点でおかしくないか俺、と自分自身に「それはどうよ」と言いかけたとき、

「荒木、空いた時間付き合えよ」

 拾った俺のデパックを、まるで人質にでも取ったように自分の肩に担ぐと、中山先輩は言った。

「青蘭の真行寺って女、知ってるだろ?」

 何で今その名前が、と驚いて顔を上げると、先輩はその俺の顔をチラッと見てからくるりと背を向けて歩き出した。







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