日々是好日毎日御元気

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やはり造り手は上だなぁと思ったこと

これは自分の持論なので、これに対してどうお感じになるかと言うのは自由だし、その感じたことに対して私は責任は持ちません。というか、この私の持論に触れてご自分がどう感じたかが、すなわち「自分の感覚」なんだということであり、賛同していただいても、反論していただいても、私の持論は結果変わらないと言うことなのです。

この持論と言うのは単純です。どのような世界であり、どのような状況であって、何を作っているのかにかかわらず、造り手は(創造主)はそれを享受する者よりも上だということ。

これには多くの問題を抱えています。ならば犯罪はどうだ、と以前聞かれたことがあります。犯罪を犯す、犯罪に関係するものを作る、それは、やはり「上」なのか、と聞かれたことがあります。
この場合、「上」であることが優位であると言っているのではないと言うことを理解していただかないと会話が成り立ちません。「上」と「下」という意味を「優位」と「劣位」または「強者」と「弱者」に分けてしまうのはとても危険です。そうではなく、順序として「造り手が生み出さないとそれは存在しない」から「享受者はそれを手にする(見る・聞く等)」ことが出来る、という関係性が成り立つと言うことが言いたいわけで、そこに優劣を盛り込むことは「それ」がなんであるかによって流動的に変化するものだと思っています。

芸術作品に関しては、確実に「造り手」が優位であると思います。昨日からさまざまな作品の造り手の話を見たり聞いたりしていて、やはり「造る側」の意思の高さ、作品への感情愛情、完成までへのアプローチは出来上がってからそれを手にしたものの持ったそれよりも、高く確固たるものがあるのだと思いました。またそうでなければ享受する側はそれに触れて開眼したり覚醒したりする自分を感じることが出来ないし、反発したり抵抗したりすることも出来ないのです。
なぜなら、それがそこに存在しないとそれらの「反応」は起こらないから。

完成度の高さや、作品の出来不出来は当然考慮されるべきものだとは思いますが、どんなに完成度の低いものだと感じても、それを感じることの出来る状況はそれが存在しないと起こりえません。すなわち、「まず造り手ありき」である、と言いたいわけです。

しかしそこにも、真摯に考えなければいけないことがあります。造り手であるからといって、「優位」ではないのでそれにおごることは許されないと言うことです。逆に、造り手であるからには常に変化と革新を求めて欲しいと思うし、何らかの造り手である自分はそうでありたいと考えます。
アバンギャルドと言うのはこういうことだなぁと、思うのです。
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