なくなる時間となくならない時間と、その考察について
2009 / 01 / 06 ( Tue ) 夢を覚えているというのはとてもまれで、今まであまりなくて唯一しつこく覚えているのは子供の頃に見た「三人の女性が白いドレスをひらひらさせてくるくると回り踊っている」というもので、何度も何度も見た所為かこれはさすがにいくつになっても思い出すと鮮明なんだけれど、大人になった今はもう見ることのない夢になっている。でもあれは薄気味悪いからもう見なくて済んでよかったと思っているけれど。
最近では今朝と昨日おとといあたりの夢がなぜだかまだ覚えていて、初夢は見なかったのに何でそんなのを覚えているんだろうと不審に思うくらいそれはシュールでそれこそ薄気味悪い夢だったりする。 一つは幌掛けなのにオープンになっているトラックに二人の男の人が乗っていて、結構早い速度で走っているのに後ろから頭のでかい「何か」が追いかけて追いついて、飛び上がって二人を押しつぶすというもので、ぐちゃっていうリアル感が伝わってくるのがはっきり言ってスプラッタムービーな感じ。もう一つはなぜか舞台は勤めている会社で、そこにお得意さんの男の人(誰かは判別できない)が電話機を持ってきてこれを設置して欲しいといってくるもの。ウチはメガネ屋でそもそも電話工事はしてないんだけどなぜか私が設置して、その電話機を動かすにはなぜなんだか「灯油」を入れなくちゃいけなくて、その灯油が高いもんでランニングコストがかかるといってそんなものは要らん、とクレームがつくんですよ。 私はだから、灯油の代わりに水を使ったらどうかなぁと考えるんだけど、しかし何で「電話に灯油」なんだろうと考えてるところで目が覚めるのね。ていうか、その電話機の責任は私にないし、ということを誰かに相談して、その人ともおかしいよねって話してるのは鮮明に覚えてる。 なんかね、変な夢だなぁ。意味はありそうで全然ないのかもしれない。 先日送った年賀状メールに返事をいただいて、とてもとても懐かしい人からまたご縁があったらいいですね、と言っていただいた。素直に嬉しい。なんていうか、こういうのってのが「縁」なんだな、と思う。 時間というのは凄く冷静で残酷で、どんどん過ぎ去ってしまうものだと説かれたことがある。過ぎ去った時間に取り返しのつかないことをしたら、大事な約束を大事な約束と認識しないまま忘れたら、もう取り戻せない時間に、自分の一生のうちの一番必要なものを逃してしまっていたら。そのことを説かれてから、私はなぜか時間の過ぎることを、マイナス面で捉えることが先になるようになってしまった時期があった。本当に今の時間をこうやって過ごしてよかったのか、もっといいやり方はなかったのか、これで大丈夫なんだろうか、元々物事を明るく考えられる性質をしていない私にとって、そのように猜疑心を持って自分を見ることはそう難しくはなく、どちらかというとそういった考えにはまり込むのは容易いことだったように思う。考える、ということは私にとって至福の時間になり、それまでに起こった物事を考えることでその中ですごした時間を有意義に使った気になっていた。しかし「考える」という行為はたいして生産性はなく、無駄に費やしていた時間と言い換えることもできるものだと気がついた。そうではいけないんだ、と改めて思ったのは、ただ年をとっただけの年月にはしたくないと書かれていたメールの一文を読んで、私にとってのその時間はなんだったのかと、ふと思ったからだ。 考えるとまではいかない、最近はあまり考えるということをしなくなったけれど、ふと気がついてなるほどあのときのあれはこういうことか、と誰に確認するのではなくて自分の中で「思い知る」事が増えてきたようで、これもそういった感じで、過ぎ去っていった時間は「失くした時間」ではなくて「無くならない時間」であり、私の中に確かに蓄積されているものなのだと言えるのだ。 きっと私の後ろにはそんな時間の数々がどんどんつながっていって、形を変えてしまっているものがあったり、薄らいでもやだけになってしまったものがあったり、私がつながっていることを忘れてしまっているものがあったりするんだろうけれど、その過ぎ去った時間たちは決して冷酷でも残酷ではないのだ。 私が冷酷でも残酷でもないと感じている限りは。 今の私は、なんでもプラス方向に考えるように自分を仕向けるようにしている。時に楽天家過ぎる発想をして周りをあきれさせるけれど、どうせ生きている時間は限られているのだから勤めて明るく前向きに、笑っていられるように強いて生きようと思ったからだ。 どんな状況でも、恨み言を言えば心が腐るけれど、ありがたいと思えば仏様が降りてきてくださる、なんてにわか仏教徒のようなことを言ってみたりしてね。 夢についてに戻るけれど、これは何らかの示唆になっているんだろうと思う。 自分の範疇でないものに対しては傍観者に徹すること、自分の責任ではないものには責任をとろうとしないこと、なんだろうか。 夢を見ている時間がなくならない時間であり続けるのなら、それは私にとっての何らかのメッセージなんだろうと思うと、これはこれで大事な夢なのかもしれない。 |
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